相談員雲井の街歩きで見つけた昭和~旧町名の表札にビクッとなる瞬間~
こんにちは、相談員の雲井です。
早くも3回目となりましたこのシリーズですが、昭和の街歩きといえばここを避けては通れない「旧町名」が今回のテーマです。
昭和30年代の終わりに施行された住居表示法によって小さな町が統合されてしまい古くからの由緒ある地名の多くが姿を消してしまいましたが、個人宅の表札などに今もがんばっている「旧町名」を見つけられることがあります。
「澁谷區」の表示がもうたまらないですね。この「千駄ヶ谷町」当時とは別物ですが、千駄ヶ谷という地名は現住所(千駄ヶ谷1~6丁目)や駅名などに残っています。
同じく「澁谷區」から。現住所は渋谷区神宮前で、「穏田」は住居表示からは消えてしまいました。このお宅の壁には取り壊し予定の看板がかかっていましたので、ひょっとしたらもう今は建物自体なくなってしまったかもしれません。ちなみに原宿駅から続く有名な「竹下通り」も界隈の旧町名である渋谷区竹下町が由来です。
こちらは文京区から。現住所は小石川ですが、住居表示法の施行前の旧地名である富坂町の看板が、エーザイの広告と一緒に残っていました。この文京区はもともと、「小石川区」と「本郷区」の合併でできた区であり、探せばこの「旧区名」の看板や表札もまだ見つかるかもしれませんね。
古書店などをあたれば、当時の古地図なども入手できるほか、当時の地図を復刻した区ごとの地図も売っています。虫眼鏡を片手に、今の地図と見比べながら昭和の東京に思いをはせるなんてのも楽しいですよ。
本屋さんで1,500円くらいで買った「昭和16年豊島區全図」で池袋駅東口のあたりを見てみると、現在の東池袋が当時、日出町という地名だったことや、サンシャインのところが東京拘置所だったことなどがわかります。「六つ又」交差点もまだ「五つ又」しかありませんね。
皆さんのお宅の近くにも「中央○丁目」や「本町○丁目」、「地名+東西南北」みたいな住所はありませんか。小さな町を統合するときによく使われたこれらの地名は、「旧町名」の目印ともいえます。通勤の行き帰りなど、少し気にして歩いてみてはいかがでしょうか。
次回は「昭和40年代の地下鉄路線図」をお届けいたします!
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